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海上自衛隊観艦式

10月18日、海上自衛隊観艦式に行ってきました。
木更津から「こんごう」に乗り出航。

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艦尾には旭日旗が掲げられてゐたので、この旗を何と呼ぶかを聞いたら「自衛艦旗で、旭日旗とは違ひます」といふことでした。
具体的にどのやうに違ふかを聞くと「諸説ありますが、私は線の数が違ふと聞いてます。ただ、かつての資料がないので実際のところわかりません」とのこと。たしかに線の数が少ないのも見たことありますが、旭日旗は同じ16本だったはずです。
そこで他の隊員にも聞いてみると、「線の出てる場所が違ふ」「丸の位置が違ふ」とのことで、本当はどこがどう違ふのかわかりませんでした。「自衛艦旗と旭日旗は違ふ」といふ点だけは皆一致してゐました。

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艦内をうろうろしてゐると、神棚を見つけました。これが艦内神社なのだらうかと思ひながらお参りしました。
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安芸の宮島

8月3日、青年思想研究会所属の政光学舎の街宣車で東京から広島へと向かふ。

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護国神社で誠臣塾と合流する予定だが、少し早く広島に入ったので宮島を観光することになった。

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宮島競艇場。広島の競艇は、原爆慰霊碑を正す会の創設者であり代表世話人となった岩田幸雄先生がはじめた。
岩田先生は戦前・戦中は海軍航空本部嘱託であり、児玉誉士夫の児玉機関創設にも関はってゐる。また、杉山陸軍大臣の下で行はれてゐた新兵器(原爆のこと)開発にも、各国の原爆開発のフィルム映像を集めたり、ウランの調達などで深く関与してゐた人物である。なほ、日本の核兵器開発は、昭和天皇の強いお叱りを二度受けて中止となってゐる。
広島・三滝山の多宝塔は、岩田先生が原爆犠牲者を追悼するために昭和26年に建立した塔である。
林房雄の小説『武器なき海賊』のモデルこそが岩田先生であり、小林秀雄や白洲正子との交流もあった。
岩田先生の人間性は白洲正子の『心に残る人々』で紹介されてゐる。

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そして、フェリーで宮島へと渡り、宮島を観光した。

久我山稲荷神社

6月29日、久我山稲荷神社に参拝し、茅の輪くぐりをしてきた。

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久我山稲荷神社の境内には八雲神社と天満天神社も鎮座なされてゐる。
また、金玉均が揮毫した「人心同」の石碑が建立されてゐる。

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興福寺

春日大社、東大寺の次は近くにある法相宗大本山の興福寺に行く。
興福寺の国宝館には有名な阿修羅像がある。

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国宝館を見学。有名なので、阿修羅像は他の像とは違ふやうな特別の展示になってゐるのかと思ったが、他の仏像と一緒に並んでゐた。小学校や中学校の修学旅行などでかういふ展示を見ても何も感じなかったが、やはりある程度の年齢を重ねてから見ると、教科書に載ってゐた作品などは、魅入ってしまふものが多い。

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東金堂も国宝館のやうに拝観料を払へば入ることができるやうだが、時間がないので外観を見学。

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東金堂の横には五重の塔。塔の下には遠足の小学生か幼稚園児が集団で座ってをり、引率の先生から説明を受けてゐた。五重の塔の向かひにある中門跡でも遠足の小学生が集団で座ってをり、地元の人なのか興福寺の人なのかはわからないが、引率の先生とは別の人が説明をしてゐた。
やはり奈良は遠足や修学旅行の適地なのだらう。
時間があまりないので、あとはざっと見学して駅へと急いだ。

東大寺

 華厳宗大本山である東大寺の大仏殿で執り行はれた性善和尚250年遠忌法要に、一般随喜者として参列した。

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 午後10時頃、受付場所だった大和ミュージアムから大仏殿まで行列で移動。 一般随喜者は僧侶の後ろに並ぶ。


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 法要を行ったのは真言宗の僧侶たちで、華厳宗以外の宗派が大仏(廬舎那仏)前で法要を執り行ふのは今回が初めてらしい。一般随喜者も大仏さんの台座の真下で法要に参列することができた。

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 法要後には東大寺境内の二月堂にお参りした。遠忌法要も厳かよかったが、春日大社や二月堂から見える紅葉に染まった奈良の風景もよかった。

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