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謹賀新年

あけましておめでたうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
本年は第六十二回式年遷宮ならびに出雲大社大遷宮が重なる、珍しい良き年です。皆様にとっても良き年になるやうに祈念申し上げます。
平成二十五年正月
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少年如神

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≪一つの新しい日本ローマン派的気運が起りつつあるのだ。我々は浅沼刺殺事件を、昭和四年の山宣刺殺事件に比定したが、昭和初年に於ける既成政党不信の気運が、滔々たる既成政党排撃気運に転じたのはそれから間もなくであり、日本浪曼派運動の興つたのは、それに次いでであつた。大いに清純雄渾堂々たるローマン精神が興揚さるべき時が来つつあるやうだ≫(「山口青年の死に就て」影山正治)

大東塾の影山正治塾長は山口烈士の義挙をこのやうに論じてゐる。そして、影山塾長のいふ昭和のローマン的気運を作り出した日本浪曼派の保田與重郎は下の歌を詠んだ。

 少年如神
 十七の少年なるよと聲あげてなきたまひけりわれにむかひて
 ますらをにつきたる神よのこゑもつまり哭(ね)になきにけり人見るもよし

混迷する政局により、国民は行動を始め、行動する運動は以前よりも盛り上がってゐる。近代日本にこのやうな運動は重要である。もし、西洋文化圏や支那文化圏なら、それだけで良い。しかし、日本にはそれだけでは足りない。やはり神話と古典を柱とする精神や運動が最重要である。そのためにはローマン的気運を作り出す必要がある。

先駆けて散りにし人の悲しみを

《日本人の旅心に、西南へゆくうれしさと、東北へゆくかなしさのあつたことを忘れてゐる》(保田與重郎『戴冠詩人の御一人者』)

東北へゆくかなしさを最もはやく体験されたのは日本武尊であらせられた。征西を終へられたばかりの日本武尊に、東のまつろはぬ者を言向け和平(やは)せとの詔がくだり、日本武尊は東へと旅立つ。伊勢神宮で日本武尊は叔母に「父(天皇)は私に死ねとおっしゃるのか」と嘆く。日本武尊の東征の物語は有名なので省くが、この物語の悲劇が「東北へゆくかなしさ」の根底であると思ふ。
その後も東北での悲劇は源義経や奥州平泉などがある。

江戸時代に東北を旅したのは松尾芭蕉だ。芭蕉は俳諧を俳句といふ文化に高めた功労者といへよう...。保田によると、芭蕉は後鳥羽院以後の隠遁詩人の系譜であり、保田はおそらく俳句そのものよりも東北への旅に注目した。
芭蕉の東北への旅は、東北のかなしみを自分のものとするための旅であった。歴史の悲劇、歴史のかなしみを追体験するための旅であった。

《先駆けて散りにし人の悲しみを我がものとせむこの道をゆく》
これは経団連襲撃の時に辞世となるかもしれないことを意識して詠んだ野村秋介の歌である。野村の俳句は100選に選ばれるほどである。僕が野村秋介に抱くイメージも和歌といふよりもやはり俳句の方である。
そして上記の歌も形は五七五七七の短歌だが、精神的には芭蕉の俳句であるやうに思はれる。先駆けて散っていったかなしき歴史、かなしき命を追体験して自分のものとしようといふのである。そして結句の「この道」とは何か。それは神ながらのであり、その大部分を占めるのはかなしき東北へと続く道ではないだらうかと思ふ。すなはち、歴史に殉じるといふことだ。

皆既月蝕

12月10日、大東会館で行はれた「国学研究会」忘年会に参加。
国学研究会では、最初にまづ本居宣長の『うひ山ふみ』の輪読を行ひ、その後中澤伸弘氏による講義を行ってきた。講義ではこれまでに本居宣長の『玉鉾百選』、本居大平の『倭心三百首』を勉強してきた。
そして来年からは、本居宣長の『玉勝間』の輪読を行ひ、その後の講義は『万葉集』となる。新たな参加者も歓迎する。日時などは大東会館ブログを参照。
http://d.hatena.ne.jp/daitou/

忘年会を終へた後、十名くらゐでさらに懇談を続けてゐた。すると、「今がちゃうど月蝕の時間だ」といふことに誰かが気付き、皆で外に出て空を見上げた。月が赤っぽくなってをり、しばらく見てゐるとだんだんと恐ろしくなってくる。おそらく古代人もかういふ感覚を持ち、月蝕に不吉を感じたのではないだらうか。しかし、これだけの人数で夜空を眺めて天体観測っぽいことをするのは小学校の天体観測の宿題以来ではないだらうか…。そして室内に戻り談笑。午前1時くらゐに大東会館を出た。その時に再び夜空を眺めると月蝕は終はってをり、いつも通り月は輝いてゐた。今、映画で「源氏物語 千年の謎」が開催されてゐる。保田與重郎は『源氏物語』を「大空をゆく夜毎の月読壮士のイメージにもとづくのである」としてゐる。やはり月読壮士(つくよみをのこ)はこのやうに輝いてゐるのが一番綺麗だと思ふ。

米づくり

 僕の現在の主な活動は街宣や政治活動ではない。祈年祭と新嘗祭を貫く生活である。それは稲を育てて米をつくることである。本来であれば水田農耕でなければならないのだが、代々木といふ土地柄、水田を持つには莫大な資金がかかるので、教材としても使はれてゐる「バケツ稲」をここ数年行ってゐる。これまでは順調だったのだが、今年は向かひの家が改修して2階建てとなったために日の当たりが悪くなり、育ちが悪かった。そのために穂は実ったのだが、どうやら中身のない穂が多い。
 戦後日本は工業立国として経済成長を遂げた。それは「ものづくり」に対する姿勢が日本人には供はってゐたからである。そのものづくりの根本は「米づくり」である。稲は天照大御神様から天孫ニニギノミコトがことよさされたのである。稲を育てて高天原の生活をこの地上において実現することがわが民族の使命であり、神武肇国の精神であり、また生活でもある。
 稲は今年も例年のやうに11月23日の新嘗を祝ふ集ひで、神前に奉る予定である。

写真は5月中旬頃と10月下旬頃である。
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