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第29回新嘗を祝ふ集ひ

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けふは、一般的には「勤労感謝の日」といふ祝日となってゐるが、本来は新嘗祭(にひなめさい)といふ祭日である。天皇陛下におかせられましては、神嘉殿で新嘗祭を斎行あそばされる。

今年も民間有志が集ひ「第二十九回新嘗を祝ふ集ひ」を開催した。
第一部は講演。今年は國學院大学の菅浩二准教授をお招きして「家・郷土・国体ー『難波田春夫の『斎庭之稲穂』神勅論」。
第二部は祭典。新嘗祭を斎行。この集ひでは実行委員で祭壇を組み、ひもろぎを立ててお祭りを斎行してゐる。このやうなお祭りは珍しいのではないかと思ふ。今年も僕が育てた稲も祭壇に奉った。
そして第三部は直会(なほらひ)。神様にお供へした御神酒や食物を皆でいただく。

講師によると、近代以降に民間でも新嘗祭を斎行するやうになったのは昭和十年からださうだ。しかもそれは戦後の社会党左派の人々だったらしい。僕はこのことを全く知らなかった。
かつては左翼陣営でさへ新嘗祭の意義を承知してゐたのだらう。翻って現在はどうか。保守と言はれる陣営でさへ怪しい。最近のネットから運動に入った人達は新嘗祭すら知らない人が多いやうだ。実際、お祭りといふ言葉すら通じなかったことがあった。屋台と盆踊りのイメージしかないやうだが、それは余興に過ぎない。お祭りの本体は祭祀であり、最も重要な祭祀が新嘗祭である。
本来の日本人の暮らしは、祈年祭(としごひのまつり)と新嘗祭を貫く生活である。
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第二回明治の日を実現しよう国民集会

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11月6日、憲政記念館で第二回明治の日を実現しよう国民集会が開催された。
午後6時に開会。国会斉唱を行ひ、明治の日推進協議会の塚本三郎会長が主催者挨拶。その後、相澤宏明事務局長による経過報告が行はれ、参加した国会議員による挨拶が続いた。
そして登壇者は降壇。基調提言として田久保忠衛・杏林大学名誉教授、渡部昇一・上智大学名誉教授による講演演題は「栄光の明治を思う」。そして特別ゲストの片山利子・『職ニ斃レシト雖モ』(展転社)著者による講演。演題は「明治軍人の高貴な」精神。
その後、中島剛・関西明治の日推進協議会世話人、荒木紫帆・実行委員より決意表明があり、石本大己・実行委員が決議案を読み上げ、満場の拍手を以て採択された。最後に高池勝彦・事務総長による閉会の辞が述べられ、閉会した。

少年如神

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≪一つの新しい日本ローマン派的気運が起りつつあるのだ。我々は浅沼刺殺事件を、昭和四年の山宣刺殺事件に比定したが、昭和初年に於ける既成政党不信の気運が、滔々たる既成政党排撃気運に転じたのはそれから間もなくであり、日本浪曼派運動の興つたのは、それに次いでであつた。大いに清純雄渾堂々たるローマン精神が興揚さるべき時が来つつあるやうだ≫(「山口青年の死に就て」影山正治)

大東塾の影山正治塾長は山口烈士の義挙をこのやうに論じてゐる。そして、影山塾長のいふ昭和のローマン的気運を作り出した日本浪曼派の保田與重郎は下の歌を詠んだ。

 少年如神
 十七の少年なるよと聲あげてなきたまひけりわれにむかひて
 ますらをにつきたる神よのこゑもつまり哭(ね)になきにけり人見るもよし

混迷する政局により、国民は行動を始め、行動する運動は以前よりも盛り上がってゐる。近代日本にこのやうな運動は重要である。もし、西洋文化圏や支那文化圏なら、それだけで良い。しかし、日本にはそれだけでは足りない。やはり神話と古典を柱とする精神や運動が最重要である。そのためにはローマン的気運を作り出す必要がある。

先駆けて散りにし人の悲しみを

《日本人の旅心に、西南へゆくうれしさと、東北へゆくかなしさのあつたことを忘れてゐる》(保田與重郎『戴冠詩人の御一人者』)

東北へゆくかなしさを最もはやく体験されたのは日本武尊であらせられた。征西を終へられたばかりの日本武尊に、東のまつろはぬ者を言向け和平(やは)せとの詔がくだり、日本武尊は東へと旅立つ。伊勢神宮で日本武尊は叔母に「父(天皇)は私に死ねとおっしゃるのか」と嘆く。日本武尊の東征の物語は有名なので省くが、この物語の悲劇が「東北へゆくかなしさ」の根底であると思ふ。
その後も東北での悲劇は源義経や奥州平泉などがある。

江戸時代に東北を旅したのは松尾芭蕉だ。芭蕉は俳諧を俳句といふ文化に高めた功労者といへよう...。保田によると、芭蕉は後鳥羽院以後の隠遁詩人の系譜であり、保田はおそらく俳句そのものよりも東北への旅に注目した。
芭蕉の東北への旅は、東北のかなしみを自分のものとするための旅であった。歴史の悲劇、歴史のかなしみを追体験するための旅であった。

《先駆けて散りにし人の悲しみを我がものとせむこの道をゆく》
これは経団連襲撃の時に辞世となるかもしれないことを意識して詠んだ野村秋介の歌である。野村の俳句は100選に選ばれるほどである。僕が野村秋介に抱くイメージも和歌といふよりもやはり俳句の方である。
そして上記の歌も形は五七五七七の短歌だが、精神的には芭蕉の俳句であるやうに思はれる。先駆けて散っていったかなしき歴史、かなしき命を追体験して自分のものとしようといふのである。そして結句の「この道」とは何か。それは神ながらのであり、その大部分を占めるのはかなしき東北へと続く道ではないだらうかと思ふ。すなはち、歴史に殉じるといふことだ。

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