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先駆けて散りにし人の悲しみを

《日本人の旅心に、西南へゆくうれしさと、東北へゆくかなしさのあつたことを忘れてゐる》(保田與重郎『戴冠詩人の御一人者』)

東北へゆくかなしさを最もはやく体験されたのは日本武尊であらせられた。征西を終へられたばかりの日本武尊に、東のまつろはぬ者を言向け和平(やは)せとの詔がくだり、日本武尊は東へと旅立つ。伊勢神宮で日本武尊は叔母に「父(天皇)は私に死ねとおっしゃるのか」と嘆く。日本武尊の東征の物語は有名なので省くが、この物語の悲劇が「東北へゆくかなしさ」の根底であると思ふ。
その後も東北での悲劇は源義経や奥州平泉などがある。

江戸時代に東北を旅したのは松尾芭蕉だ。芭蕉は俳諧を俳句といふ文化に高めた功労者といへよう...。保田によると、芭蕉は後鳥羽院以後の隠遁詩人の系譜であり、保田はおそらく俳句そのものよりも東北への旅に注目した。
芭蕉の東北への旅は、東北のかなしみを自分のものとするための旅であった。歴史の悲劇、歴史のかなしみを追体験するための旅であった。

《先駆けて散りにし人の悲しみを我がものとせむこの道をゆく》
これは経団連襲撃の時に辞世となるかもしれないことを意識して詠んだ野村秋介の歌である。野村の俳句は100選に選ばれるほどである。僕が野村秋介に抱くイメージも和歌といふよりもやはり俳句の方である。
そして上記の歌も形は五七五七七の短歌だが、精神的には芭蕉の俳句であるやうに思はれる。先駆けて散っていったかなしき歴史、かなしき命を追体験して自分のものとしようといふのである。そして結句の「この道」とは何か。それは神ながらのであり、その大部分を占めるのはかなしき東北へと続く道ではないだらうかと思ふ。すなはち、歴史に殉じるといふことだ。
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