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文徳天皇御陵

 後白河天皇御陵と法住寺の正面には三十三間堂があったのだが、ゆっくりと見て回る時間がないので拝観はあきらめて鳴滝へと向かふ。
 今回の京都の目的地は鳴滝の身余堂である。身余堂は文徳天皇御陵に隣接してゐることでよく知られてゐるので、先に文徳天皇御陵に参拝。参道の入り口に「立入禁止」の文字が見えたので、御陵まで行けないのかと思ったのだが、よく見ると「参拝者以外立入禁止」となってをり、参拝には行けるやうだ。
 石畳の参道を通って文徳天皇御陵の前まですすみ、参拝した。

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後白河天皇御陵・法住寺

東福寺から西へしばらく歩いて三十三間堂を目指す。
すると、三十三間堂の前に後白河天皇御陵が鎮座なされてゐた。ところが、参道前の門に「土・日・祝日は閉めております 宮内庁」と書かれた看板がかけられてをり、御陵まで行くことはできなかった。

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そこで、参道の入り口の門の前で参拝し、隣接する「後白河院御聖蹟 身代不動尊 法住寺」を詣でる。

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東福寺

仲恭天皇御陵を参拝後、東福寺の境内に足を踏み入れる。案内の石碑には「大本山東福寺」と彫られてゐる。すごく広い境内だしで、どこの大本山だらうと思ってゐた。あとから臨済宗東福寺派の大本山だといふことがわかった。

境内の東端にある六波羅門から境内に入ると大きな建物が見えるので、その建物が本堂だらうと近寄る。柵みたいな扉が降ろされてゐるために中に入ることはできないが、大きな仏像が見えたので本堂で間違へないだらう。

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柵の前まで進み、合掌して参拝。少し味気ないといふか、仏式の作法がこれでいいのかよくわからないので、神式の二礼二拍手一礼でも参拝した。実は私の前にももう一人参拝者がをり、その人も神式での参拝だった。
帰りは日下門を抜けて境内を出た。

仲恭天皇御陵

 乗り換へのためJR東福寺駅で下車。東福寺といふ駅名なので、東福寺が有名なのだらうと時間があるので東福寺を目指す。東福寺を目指してゐると案内図があり、見てみると東福寺の奥の方に仲恭天皇御陵が鎮座なされてゐるので、まづは仲恭天皇御陵を参拝することにした。
 仲恭天皇御陵への参道の途中には崇徳天皇の皇后の陵が鎮座なされてゐるので参拝。さらに参道を登っていき仲恭天皇御陵を参拝。
 この日は雨だったこともあり、参道の石畳は非常にすべりやすくなってゐた。少し坂道になってゐるので、参拝後のくだりの帰り道は滑って転びさうになったのだが、うまく体勢を立ち直らせることができて転ばずにすんだ。

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 仲恭天皇は四歳の御時に践祚あそばされた。しかし、その後の承久の戦で後鳥羽院ら朝廷側が鎌倉幕府に敗北、後鳥羽院、土御門院、順徳院の三上皇は流配となり遷御あそばされ、仲恭天皇の皇位は幕府により廃せられた。しかも即位を認められなかったため、諡や追号もおくられることがなく、九条廃帝と呼ばれてゐた。
 明治三年に天皇として認められ、仲恭天皇と追号された。

金王八幡宮

渋谷の金王八幡宮に参拝。

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渋谷駅から徒歩5分のところに鎮座なされてゐる。

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最近では、映画化された冲方丁の小説『天地明察』の舞台としても有名になったのではないだらうか。
映画では、金王八幡宮に算術の問題を書いた絵馬が奉納されてをり、渋川春海がその絵馬の問題を解こうとする場面が出てくる。

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