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天忠組終焉の地

6月22日、不二歌道会京阪神奈合同歌会吟行に参加。京阪神奈だけでなく東京からも代表はじめ数名が参加。

最初に訪れた場所は東吉野村の吉村寅太郎終焉の地。大きな石碑が建てられてをり、そこには「天誅組終焉之地」と書かれてゐる。なほ、「てんちゅうぐみ」とはのちの人がさう呼んだので当人たちが名乗ってゐたわけではない。そのために漢字では「天誅組」と書かれることや「天忠組」と書かれることがある。僕は大東塾の影山正治塾長、日本浪曼派の保田與重郎先生の考へを引き継ぎ「天忠組」とする。

250622-1.jpg

小さな川を渡ると、ちょっとした広場みたいになってをり、そこに様々な碑が建てられてゐる。
一番きれいで目につくのが吉村寅太郎の遺詠の碑である。
「吉野山風に乱るるもみぢ葉は我が打つ太刀の血煙と見よ」

250622-2.jpg

そして、大きな磐座の下に、吉村寅太郎の墓碑が建立されてゐる。その墓碑に向かひ、慰霊祭を斎行した。
大きな磐座の下なので、おそらくこの墓碑にはほとんど陽があたらないのではないかと思はれる。しかし、そのことでいい感じの苔の生え方になってをり、ますます神秘的で荘厳な墓碑となってゐると思ふ。

250622-3.jpg

慰霊祭後、一番目の写真の「天誅組終焉之地」の石碑の前で集合写真を撮る。すると、そこに地元の人の車が通りかかり、その車が停車。降りてきた主婦らしき人が「私が撮りませう」と集合写真を撮ってくれた。その人は「こんなところまで来てくれてありがたうございます」と言ってゐた。地元の人たちは今でも天忠組を誇りにしてゐるのだ。
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